はんしん自立の家とは

 

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現在、チェシャーホームは世界54ヶ国 300ホーム以上あります。
チェシャーホームはイギリスのレオナルドチェシャー卿によって始められた
ハンディキャップのある人の新しい暮らしの場です。
チェシャー卿は誰もが助け合い、支えあって暮らす幸せな社会を作ろうと決意し、自分の生涯をハンディキャップのある人のチェシャーホームを作るために捧げてきました。

ここでは50人のハンディキャップのある「入居者」が生活しています。入居者が親から離れて、一人の社会人として、自分の意思で主体的に自由に「生活する場」であり、街の住人としての「地域の中で暮らし」、毎日の「装いと潤いのある暮らし」が当たり前のこととして進んでいくのです。「ノーマライゼーション」~一人ひとりが、同じ社会を構成する大切な人間であり、障害者ではなくハンディキャップのある普通の人として生活をしていく~を、「はんしん自立の家」で実現していこうと思っています。
「はんしん自立の家」は、英国「チェシャーホーム」の理念を受け継ぎ、日本で2番目の「チェシャーホーム」として、1985年7月1日にオープンしました。運営は「社会福祉法人ひょうご障害福祉事業協会」が行っています。pict0656

チェシャーホームのなり立ち

1948年、癌の末期症状で入院生活をしていた友人に、イギリスのハンプシャーにある
自分の家「リ・コート」の一室を提供しました。
冷たい病院のベッドで過ごすより、みどりの芝生を眺め、家族や友人に見守られて余生を送るほうが幸せだと考えたからです。
こうして最初のチェシャーホームが始まったのです。

「リ・コート」の家にはその後、病院や施設に収容されていたハンディキャップのある人達が新しい暮らしの場を求めて移り住みました。
チェシャー卿一人では、とてもこの人達の生活を支えることは出来ず、彼に協力してくれる友人や地域の人達、そしてボランティアの人達と一緒に このホームを運営していくこととなりました。

1950年2つ目のチェシャーホームを作り、それ以後多くの人々の土地や家の協力の申し出を受けてイギリス国内に次々にチェシャーホームが誕生していきました。
現在イギリスに86のチェシャーホームがあり、また在宅のハンディキャップのある人々の暮らしを支えるために、ファミリーサポートサービスを49ヶ所で運営しています。

イギリスで始まったチェシャーホームはインドやアフリカ、東南アジアそして南北アメリカにも広がりました。
そして最近中国やロシアにも出来ました。
世界のそれぞれのチェシャーホームは独立して運営されていますが、イギリスのレオナルドチェシャー財団を中心に各国のホームは
「ハンディキャップを持つ人に真の自由な暮らしを」という精神を共有し強い絆で結ばれています。
世界中のチェシャーホームが交流、交歓し友好関係を保っているのです。

心身に障害を持つ子どもたちが、地域で元気に育つことを願って設立した財団法人兵庫県心身障害児福祉協会(現、公益財団法人ひょう ご子どもと家庭福祉財団)が、重い障害を持つ子ども達の学校卒業後の「施設」では無い新しい「生活の場」を作ろうと考えました。
日本や世界の情報を集め研究している時に、イギリスの障害を持つ人の自由な暮らしの場「チェシャーホーム」と出会いました。
チェシャーホームはレオナルドチェシャー卿が自分の家をハンディキャップのある人達に提供して始まったものです。
管理的な「施設」ではなくハンディキャップを持つ人たちの自由な暮らしの場としての新しいアイディアは世界中で歓迎されていました。
日本にもチェシャーホームを作りハンディキャップのある人たちの新しい生活の場を築こうとしたのです。
神戸や阪神間での土地の確保が難しく最初のチェシャーホームは、兵庫県宍粟郡一宮町(現、宍粟市一宮町)に「はりま自立の家」として設立しました。
その後、宝塚の土地を行政より無償貸与され、チェシャーホーム「はんしん自立の家」を設立することができました。

ノーマライゼーションの実現のために

私達の社会はいろいろな人が一緒に暮らしています。生まれたばかりの赤ちゃん、育ち盛りの子ども、たくましい元気な青年、働き盛りの壮年、人生の経験を重ねた人、病気の人
そして、身体や発達に重いハンディキャップのある人。
皆同じ社会を構成する大切な一人の人間です。
ハンディキャップのある人を特別視したり、得意扱いせず同じ社会の普通の人として暮らしていけるようにすることが大切です。
障害者としてではなくハンディキャップを持つ普通の人として、普通の暮らしをし、いろいろな事にチャレンジしたいのです。
デンマークで始まったこの新しい福祉の思想、ノーマライゼーションを、ここ「はんしん自立の家」で実現していきます。

重いハンディキャップのある人の豊かな暮らし 

親には親の人生があり、子どもには子どもの人生があると考えます。
重いハンディキャップのある人も親から独立して自分の人生を楽しむ権利があると考えます。
親亡き後ではなく、親の元気なうちにハンディキャップのある人たちの豊かな暮らしを実現していきたいのです。
「はんしん自立の家」では、重い障害を持つ人も親から離れて、一人の社会人として、自分の人生を自分で生きていくような場にしたいと考えています。
身体的や経済的な「自立」だけではなく、精神的な自立を目指し、他人の手を借りて自分の人生を歩んでいける場なのです。
自分で考えたり選択することが困難な重い障害の人にはスタッフがその援助もしながら生活を守ります。

「施設」ではない「家」 

ハンディキャップのある人を「施設」に保護し収容する考え方ではなく、普通の人と同じ用に自分の家で暮らすことが出来たらと考えました。
ハンディキャップを補うために必要な身体的な介助、食事、医療のサービスが得られ、また自立して暮らすために精神的な介護のサービスを受けることの出来る生活の場、そんな「施設」ではない「家」を目指して作ったのが「はんしん自立の家」です。
ハンディキャップのある人達が暮らしやすいように設備を整え建物も「家」らしくレンガスタイルで覆った、瀟洒なマンションの雰囲気です。明るく開放的で家庭的な感じのする「家」なのです。

主体的で自由な暮らし 

自分のことを自分でできるようにではなく、他人の手を借りて、自分の意思で主体的に生きていくことができるように、と考えています選択肢を豊富にし、選ぶ機会と自分で決定する自由を保障し、自分の暮らしを築いていけるようにと考えます。
重いハンディキャップを持つ人たちにはスタッフが一緒にお手伝いします。

地域のなかでの暮らし 

「はんしん自立の家」で暮らす人たちはレジデンツ(RESIDENTS)入居者と呼ばれ、地域で主体的な暮らしをしようとしています。
電動車いすで一人ででかけます。
美容院や理髪店にも出向きます。
選挙も投票所に行って投票します。
地域の人にも来て頂けるようなプログラムも用意します。

装いのある暮らし 

「施設」でないから毎日の生活も家庭と同じ温かさを求め、潤いのある暮らしを作ろうとしています。
入居者は病人のようにパジャマやジャージで一日を過ごすことなく、普通の服装で、ベッドの上ではなく、自分の部屋やホール、デイルームなどで過ごします。お化粧をしたり、おしゃれも楽しみ装いのある暮らしをします。

ほんものに触れるために様々なプログラムを用意しています 

プロの先生にお越しいただき、絵画 書道 陶芸 華道 音楽 短歌などの教室を行っています。
陶芸用に専用の窯もあります。

仕事のよろこびを味わうための活動もします

クッキー作り さおり織り ポプリ作りなどを行います。
実際に「はんしん自立の家」や喫茶店「トラファルガースクウェア」等で販売も行っております。

施設給食ではないお料理をサービスします

施設、というとどうしても割れにくいお皿で、簡素な食器で、を想像されるかもしれません。
ここ「はんしん自立の家」では普通の家庭で使う陶器の食器を使い、食事を楽しみます。
厨房スタッフが栄養なども管理し、季節の食材を使った料理を提供します。
またデザート、おやつなども季節に沿った伝統のお菓子を提供します。

地域に向けての講演会や一緒に楽しめるコンサートも開きます

五嶋みどりさんのヴァイオリンコンサートや兵庫芸術文化センター管弦楽団によるミニコンサート、各種サロンコンサート等行いました。
また、他には瀬戸内寂聴さん、君原健二さん、亀井一成さんなどの講演会、日野原 重明さんによる音楽療法セミナーも開催しました

はんしんレスパイトサービス

レスパイトとは「ほっと一息」という意味です。障害のある人やその家族が、レスパイトサービスを利用することによって、本人も家族も心身ともにリフレッシュできることを願って1994年から開始しました。ショートステイ制度の活用ですが、専用スペースと専任スタッフを配置し自立生活訓練も含んでの事業は全国でも少ないものです。

ラティテュード ボランティア 

「はんしん自立の家」には海外からのボランティアも沢山来ています。

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